Life,Work,Money

45才からの生活、仕事、お金のことついて、とりあえず書いてみる。

一泊二日、二泊三日はドライTシャツ2枚でOK

週末を利用した小旅行にいくときは、できる限りの最小荷物でいく。

一番最小化、ミニマム化に苦心するのが、「洋服」だ。特に、汗をかく夏場の旅行は、洗濯と乾燥までのサイクルをどうまわすかで、持っていく量がかわる。

有り余る財力があれば、躊躇なく宿泊数分の洋服を持っていき、現地で捨ててくると思うが、一般庶民のぼくには、そんなことはできない。

そこで、ぼくは、ホテルで洗濯、乾燥が短時間でできる速乾性のTシャツを探しもとめ、これに行き着いた。

このTシャツを2枚だけ持っていく。そして、夜、入浴時に身体といつしよに洗うのである。そして、思いっきりしぼり、ハンガーに一晩つるしおくだけで、朝にはサラッサラに乾いている。

さらに、このTシャツはたった600円台で買えて、それなりにしっかりした作りで、貧弱な感じがないのだ。

ミニマリストが旅行に行く時はぜひ試して頂きたい。1回の昼飯代で買えます!

そのTシャツは、glimmer(グリマー) [グリマー] 半袖 4.4oz ドライTシャツ(クルーネック) だ!

 

吸汗速乾性のあるドライ素材のアイテムを揃えたブランドglimmerのマストアイテム00300-ACT。
生地の裏面はメッシュ素材で通気性。汗の乾きが速く、本格的なスポーツシーンでもサラリと快適な肌触りをキープ。暑い時季のマストアイテムです。
紫外線遮蔽率90%のUVカット機能でお肌を守ります。

【ポリエステルメッシュ】
表面はフラットで裏面がメッシュになっている生地です。
ポリエステル100%仕様で速乾性に優れた素材です。メッシュの細かな凹凸やヌケ感は、見た目も手触りも爽やか。高い通気性が◎です。


【DRY(吸汗速乾)】
ベタつく汗を素早く吸収し、水分を繊維内に篭らせることなく即座に発散する。glimmer active wearには、そんな高機能を実現するメッシュドライ素材が採用されています。

 


以下の写真で、速乾性の生地や、肉厚な首周りわかってもらえるでしようか。

 

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羊を守りたければ、狼になるしかないし、狼を倒すには狼にならなくちゃならない

ぼくは、「お金」という媒体をつかって、「経済」という仕組みの中で人間が織りなすさまざまなストーリーを見たり、聞いたりするのが最高に好きである。

いわゆる、「金儲け」にまつわる話や、人間の欲求の仕組みがもろに反映される「経済」に探究心をくすぐられる。

でも、一般的に日本人は人前であまりお金の話をしないというし、たしかに僕の家族からはじまり、周りにいる人たちも積極的に「お金」の話をあまりしない。

ぼくは「お金」「経済」という仕組みはほんとうにすばらしいものだとおもうし、それらに欲深くなることになんらネガティブになることはない。

 

最近では、スタートトゥデイ社の前澤氏などのように、大金をガンガン稼ぎ、ガンガン使い=還元、また稼ぐということに嫌悪感を示すひともいるようだが、ぼくはあれこそがビリオネアのお金のただしい遣い方だとおもっている。

 

 

上記の前澤氏のTwitterのように、
お金を稼ぎまくり、使いまくり、最後までいきついたときはじめて

「やっぱり、世の中お金じゃなかった」

もしくは

「やっぱり、お金は重要だ。でも一番大切のは家族だ!」

というような「お金」の本質を語れるような気がしてならない。

  

かつて、デンゼル・ワシントンがアカデミー主演男優賞を受賞した「トレーニングデイ」の中で、麻薬の潜入捜査官に扮するデンゼルがこんなセリフを言っていた。

 

トレーニング デイ 特別版 [DVD]

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“You get the wolf to protect the sheep.And it takes a wolf to get a wolf.” 

「羊を守りたければ、狼になるしかないし、狼を倒すには狼にならなくちゃならない。」 

 

そう、「お金」がなんたるかを知りたければ、お金持ちになって、お金の本質を身をもって理解しなくてはならないのだ。 

 

 なぜ人は「金儲け」を嫌うのか?

 先日、愛読ブロク「パレオの男」で、こんな記事が掲載されていた。

  

実験①

エラスムス大学の論文で、7つの実験をベースに「金儲けに人間はどう反応するか?」を調べた結果明確なパターンが確認された

 

質問 

  1.  Fortune 500企業のリストを見せて、「この会社はどれだけ儲けていると思うか?」と参加者に尋ねる
  2. 続けて、それぞれの企業イメージを尋ねる

 

結果

「儲かってる」ってイメージが強い企業ほど、「悪いことをしているのだ」と思われやすい

 実際の利益とは関係なく、「この会社は儲かってそうだなー」と思われた時点で悪い印象が生まれてしまう

 

 

実験②

ある会社の解説文を参加者に読ませたんですが、その際に2つのグループに分けております。

  1. この企業は”営利目的”でコーヒーの販売をしています
  2. この企業は”非営利目的”でコーヒーの販売をしています

 

結果

 営利目的と知らされた場合は、社会的に害悪でメリットがないと思われやすかった。その企業がどんな活動をしていようが、「営利目的」と思われただけでもイメージは低下する。

 

これらの実験結果からでもわかるとおり、人は他人が「儲ける」ということに対してはネガティブな感情をいだくものなんですね。

しかも、これらの実験から、このような感情を抱くのは、裕福か貧乏かという金銭的な優劣は関係ないことを示しているとのこと。 

部下は取り替えても、変わらない! 

「類は友を呼ぶ」ということわざがある。

みんなよく知っていることわざなので説明する必要もないとおもうが、これは学生時代の「友だち」という人間関係だけではなく、社会人になって会社に勤めても通用する法則だと思っている。

どこかの会社、組織に属する、つまり就職するということは、試験、面談を受けたり、誰かの紹介だったりするわけですが、その時点でなんらかのふるいにかけられ、グルーピングされているわけだから、当然といえば、当然のことだ。

結果として、いま自分が在籍している会社、組織は、自分とおなじようなタイプで、おなじようなスキルレベル、知的レベルを保持する人間が集まることになる。

 

よって、自分の周りには自分と同じレベルの人間が集まり、その与えられた環境、チームメンバーの総戦力で目の前の課題に対応していくことになる。

そういう前提で、仕事を進めるとなると、当然、要領が悪かったり、理解が悪かったりするメンバーがいても、このチームでベストな戦略はなにか?を考えざる得ない。そこで、できるメンバーがいないことに対する不平不満を言い続けているわけにはいかないのだ。

しかし、現実には、たいていの人が

「あの人には無理」「このメンバーでは無理」

と否定するところで思考がストップしてしまう。

ぼくも実は30代前半のころ、配下メンバーが誰も使えない!ということを日々不満として口にしていた時期があります。でも、この本の以下の一節を読んで、目覚めました。

 

部下を取り替えたところで、何も変わりません。
なぜなら、いま、目の前にいる従業員たちのレベルが、その会社のレベルを表しているのです。部下をとりかえたとしても、また同じレベルの部下がはいってくるだけです。

 

現在、なんで自分のチームは仕事ができないメンバーばかりで構成されているんだろう?と悩んでる管理職の人がいたら、ぜひ読んでもらいたい一冊はこちらです。

 

部下は取り替えても、変わらない!

部下は取り替えても、変わらない!

 

 

以下、引用です。

「一を聞いて十を知る」部下ばかりであれば、これほど楽なことはありません。しかし反対に言えば、そんな状況になったら、そのマネージャーが不要になる日が三日以内にやってくるでしょう。つまり、組織において、「何のためにマネジャーが存在しているのか」ということです。自分からどんどん動いて結果を出せる人材ばかりなら、マネジャーはいらないのです。

 

部下は、どのようなレベルの部下でもいい。縁があって一緒に働くのだから、与えられた部下で成功するためのマネジメント術を知ったほうが、どれだけ現実的な解決策だろうか。

 

古代ローマにカミルスという英雄がいました。向かうところ敵なし、という常勝の武将でした。それが政治舞台で失脚したのです。

まもなく古代ローマは、ケルト人に一時期征服されてしまいます。カミルス一人失っただけで、強いローマが弱いローマに変わってしまったのです。征服という屈辱を受けた七ヶ月後、カルミスが復権し、また強いローマに復活したのです。

古代ローマの組織を構成する人材に変化はありません。しかし、トップにカミルスがいるかいないかで、その組織の強さが大きく変化してしまったのです。

つまり、組織力とは、構成する人材に左右されるのではなく、それをマネジメントする人材に左右されるのです。

 

天動説をビジネスで語るとき、そこには「自己中心的発想」という意味が含まれる。大半のマネジャーは、自分の担当する組織の業績が悪いと、構成メンバーの能力不足を嘆きます。これこそ、典型的な天動説の発想です。

 しかし、部下を取り替えたところで、何も変わりません。なぜなら、いま、目の前にいる従業員たちのレベルが、その会社のレベルを表しているのです。部下をとりかえたとしても、また同じレベルの部下がはいってくるだけです。

 

2:6:2の法則

マネジメントしなくても役立つ部下→2割
マネジメントしないと役に立たない部下→6割
マネジメントしても足を引っ張る部下→2割

 つまり、マネジャーとは「マネジメントしなくても役立つ部下2割」以外の8割の部下の面倒をみるために存在するということです。

 

人が人をマネジメントするというのはとても魅力的で、とても刺激的で、とても知的な仕事をいえるのです。なぜなら、たまたま縁があっても同じ組織で働くという「偶然」を「必然」」に変えなければいけないからです。

成功した人は、世の中の成功というものが偶然によってもたらされるものだとは認めたがらない

自分が勤務する会社には(国内)1.2万近くの従業員がいる。

ぼくはその大きな組織の中で、幸いにも部長職のレイヤーに属することができている。組織全体の比率からすると0.3%ぐらいしかいないポジションに就いていることになる。

では、そのような数少ない部長職というポジションに就けたのはなぜなのか?と問われると、答えに窮する。

どんなに考えても、ぼくの場合、その理由はたまたまというかタイミングというか、つまるところ「運がよかっただけ」という回答しかでてこない。

 

20代後半、たまたま、会社で初となるプロジェクトに参画し、そこで新システムを使いこなせるようになり、当時、会社として注目される案件に携わることができた。

そして、当時たまたま上司だったひとが、社内で権力をもち、うまく出世して、ぼくも非常に多くのチャンスと出世、昇給という恩恵を受けた。

もちろん、自分の才能のなさを時間でカバーし、いまであれば完全にアウトな過重労働をして、誰にも負けないぐらい長時間働いたことは認めるが、たまたまの出会いや幸運のほうが要素としては圧倒的に大きいと思う。

 

今日、そんなことをあらためて考えたのは、大好きな作家マイケル・ルイス氏の2012年、プリンストン大学のこのスピーチを読んだからです。

 

ルイス氏はこのスピーチで、自らが体験した偶然と作家としての成功をこう語っています。

晩餐会で起きた「偶然」 

ある夜のことです。私はとある晩餐会に招かれました。その時座った席がウォール街の大手投資銀行、ソロモンブラザーズの重役の奥様の隣の席でした。その彼女が夫である投資銀行の重役に掛け合ってくれたおかげで、ソロモンブラザーズでの仕事に就けることとなったのです。 

 

ソロモンブラザーズについてのことはほとんど何も知らなかったのですが、丁度そのころ、ウォール街は今私たちが知る、愛すべき形に姿を変えようとしている混乱期の最中でした。 

 

仕事に行った日、ほとんど勝手に私に割り当てられたのは、成長し続ける狂気を目の当たりにできると言う、最良の仕事でした。デリバティブの専門家に仕立て上げられたのです。1年半後にはソロモンブラザーズから私は数十万ドルの小切手を受け取り、プロの投資家にデリバティブについてのアドバイスをする仕事に就いていたのです。 

 

そして、ルイス氏はソロモンに勤務し、そこで経験したことを書いた処女作がミリオンセラーとなるのです。

私が書いた『ライアーズ・ポーカー』という本はミリオンセラーとなりました。私が28歳のときです。私は経歴があり、少し有名であり、ちょっとしたお金を手にしているという、新しい人生の幕開けを迎えたのです。私は人々に、作家になるために生まれたんだと、突如言われ出しました。とんでもないことです。 

 

隠されている別の真実が、そこにはあるのです。運です。ソロモンブラザーズの重役の奥様の隣に座る確率は一体どれくらいでしょうか。しかるべき時に物語を書くためにウォール街随一の投資銀行で働ける確率は? ビジネスの最前線を目にする確率は? 

 

ため息をつきつつも経済制裁も加えず、「好きにすれば」と言ってくれる両親を持つ確率は? プリンストンの芸術史の教授によって書きたいと気付かされ、情熱に火をつけられる確率は? そもそも、プリンストンそのものに入れる確率は? 

 

嘘の謙遜をしているわけではありません。意味のある、嘘の謙遜です。私の経験から、成功というものがいかに合理化されているかについて説明します。人々は運に基づく成功というものを嫌います。特に成功した人々においては。 

 

成功した人というものは、歳を取るにつれ、成功は必然だったのだと考えがちになります。彼らは、自分たちが歩んで来た道を、偶然によるものとして片付けられたくないのです。というのも、世の中の成功というものが偶然によってもたらされるものだとは認めたがらないからです。 

 

これらの自身の経験をもとに、ルイス氏は卒業生にこのようなメッセージをおくります。

人生の結果に騙されるな、というものです。

 

良い運と悪い運が互い違いに重なっている、というわけではありませんが、人生というものは沢山の運によって成り立っています。 

 

何よりも、もし成功を手にしたとしたら、運の力というものも働いているのだということ、運というものには義務も付いてくるということ、神に対してのみならず、不運というものに対して借りができたのだと言うことを心に留めておかなければならないのです。 

 

そして、ルイス氏は最後にとある実験結果を引用します。

 

 

人が運を認めないことを証明する実験 

現在私はカリフォルニアのバークレイに住んでいます。 数年前に、私の家から数ブロック離れた先で、 カリフォルニア大学の心理学部がとある実験を行なったことが在ります。 

 

最初に、実験台となる生徒を無作為に選び、 性別で分けて班を編成しました。 

男性3名の班、女性3名の班、男女混合班の3種類です。 

それからそれぞれの班を部屋に入れ、 1人を選び、リーダーとなる様に指示しました。 そこで学内でのカンニングについてどうすべきか、 学内での飲酒をどう規制するか、 などの解決がややこしい道徳問題についての議題を与えたのです。 

 

丁度30分経ったころ、 実験者はそれぞれのグループの元へ行き、 皿に乗ったクッキーを差し出したのです。 4枚のクッキーです。 3人からなる班であるのに、 4枚のクッキーを差し出したのです。 1人1枚のクッキーを受け取れるわけですが、 となると、クッキーが1枚だけ皿に残されてしまうこととなります。 さぞや気まずかったに違いありません。 

 

しかし、どうも様子が違ったようなのです。 無作為にリーダーとして指名された1人が、 何の躊躇も無く4枚目のクッキーを食べたのです。 ただ食べただけではなかったでしょう。 音を出し、口を開け、口の端からよだれを垂らしながら、 さぞや美味しそうに食べたのでしょう。 残った1枚クッキーが残したものは、 リーダーのシャツの食べかすだけだったのです。 

 

このリーダーは何か特別なことをやり遂げたわけではありません。 何かに秀でていたわけでもありません。 30分前に、ただ無作為にリーダーに選ばれたに過ぎません。 

 

彼にあったのは、運だけでした。 しかし、それでも彼は クッキーは自分のものだと疑わなかったのです。 

 

この実験はウォール街のボーナスやCEOの給料について、 また、人間がとる行動についての説明に役立つことでしょう。 しかし、プリンストン大学を卒業する あなた達にも無関係ではない話なのです。 

 

一般的な観点から、 あなたたちはこれまでリーダーの役割を 担ってきたことでしょう。 いつでも偶然で選ばれたのではなかったかもしれません。しかし、その偶然性をしっかりと感じないといけないのです。 成功には運が隠されてることを忘れてはならない。 

 

あなたは、少数派である恵まれた人たちなのです。 両親に恵まれ、国に恵まれ、プリンストンのような、 恵まれた人材を恵まれた人材に紹介でき、 より運を開く機会を設けられる素晴らしい場に恵まれている人たちです。 他の何かのために自分自身の興味を犠牲にすることも無い、 世界中で類を見ない最も豊かな社会に幸運にも住んでいるのです。 

 

あなたたちすべてが4枚目のクッキーを目にしたことがある筈です。 あなたたち全てがこれからもっともっと4枚目のクッキーを目にするでしょう。 そのとき、当然自分こそがそのクッキーにふさわしいのだと 思うことは簡単なことだと知るでしょう。 まあ、そうなのでしょうが。 

 

しかし、自分はクッキーには ふさわしくないんだというフリをするだけでも、 あなたはより幸せになれるでしょうし、 世界はより良くなるのではないでしょうか。 

 

決して忘れないで下さい。 国の奉仕の元に。 すべての国の奉仕の元にありがとう。 そして幸運を。 

 

全米でもトップクラスの大学を卒業する彼らは、大きな確率でビジネスにおいても「成功」するでしょう。そんな彼らに対して、

 

その(成功の)偶然性をしっかりと感じないといけないのです。 

成功には運が隠されてることを忘れてはならない。 

 

というメッセージは届いたのでしょうか?

 

もっと運と成功のことについて知りたいという方には、この本を強くお薦めまします。

 

成功する人は偶然を味方にする 運と成功の経済学

成功する人は偶然を味方にする 運と成功の経済学

 

自分の道は、自分が切り開いてきたと思い込んでいたけれど、いつもそばに誰かがいてくれた

ここ数日、安室奈美恵が40歳という若さで引退するニュースがメディアに大量に流れていて、この本を思い出した。
罪と音楽

罪と音楽

 
そう、安室奈美恵のヒット曲を手がけた、小室哲哉氏が詐欺容疑で逮捕されたあとに出された自叙伝のような作品である。
90年台中頃、いわゆる「小室ファミリー」のプロデューサーとして大成功を収めた小室氏は、非常にマーケティングセンスがあり、運やトレンドにも乗っかり、人生のピークを迎えていたとおもう。
 
たとえば、マーケティング観点。
 
空席理論
 
デビューする為には、あるいはヒットを狙う為には、空いている席を探すのが大事だという発想。TMネットワークを三人組にした理由も、つまりドラムやベースがいる余人組や五人組のバンドにしなかった理由も、そこにある。
 
三人組以外にも、今までいろいろな局面で、「空席はあるか」と考えてきた。
 
あのバンドが売れたからマネをする、あの曲がヒットしたから二匹目のドジョウを狙うという発想より、そこに空席があるか、空席はどこにあるかを見極める方が重要だろう。

 

さみしかったよって
口に出せない
逢えなくなって
手もつなげずに
woo… いたのにね woo…
冬のポケット リップクリーム
貸してあげたね かわいかったね
woo… キスしてね
 
想いが届けば それから答が欲しくなる
 
一人きり 二人とは違うけれど
a walk in tke park
地球は 私にも今日は優しい
 
(a walk in tke park 安室奈美恵
 
「地球は 私にも今日は優しい」この一行があるかないかで、かなり歌の重さが違ってくる。恋人との距離、季節、リッピクリーム、時間と共にかわるものの中、このワンフレーズだけが普遍的だから。
 
僕はこうした一行にこだわってきた。文字通りには受け取れない一行。
含みを持たせた一行。それを歌詞の中に投げ込むことは、聴いてくれる人たちに「考えてください」と要求していることなのだ。

 

一方で、自身の波乱万丈な体験から、現実的な本質もきちんと伝えようとしている。
「失恋したとき、名曲ができる」
誰が最初に言ったのか、誰の言葉だろうか。失恋と今回の事件を同じとは思わないが、重なる部分もある。
 
あの言葉は間違っている。
 
本当のギリギリ、崖っぷちまで追い込まれたら、やはり曲作りは無理だ。曲ができるのは、失恋で泣いても、叫んでも、まだ余裕がある証明だろう。もしくは失恋から一年なりが過ぎ、心の波が収まり、気持ちが少しでも前向きになったとき、曲が生まれるのではないだろうか。
 
今回の事件を通じ、悲しみの中で、悲しい曲は書けないと確信した。本当の孤独の中では、寂しい歌は作れない。音楽や歌は、新たな一歩を踏み出そうとしたとき生まれる。前向きな心に言葉やメロディが降ってくるのだ。
 
作詞にしても、作曲にしても、その瞬間の気持ちをそのまま綴れば、歌になると言われているかもしれない。それがリアルな歌であると。それができる人は世界中に何万人もいると思う。いや、もっと多い。ただし、ヒット曲にはならない。実話を誰かに聞いてもらいたいという冷静さ、つまり客観性が芽生えた頃に作らなくては。
そして、保釈中に自分と向かいあうことで悟ったであろう謙虚な思いも垣間見える。
 
保釈中も、自分の曲をピアノでひきながら、いつも自分が一人でなかったことに気がついた。自分の道は、自分が切り開いてきたと思い込んでいたけれど、いつもそばに誰かがいてくれた。助けてもらっていた。
 
わかっているつもりでも、いつの間にか忘れていた。だから、改めて思い直した。チャンスは自分でつかみ取るだけじゃなくて、周りの人たちから与えられるものであると。周りに認められる、必要とされるとき、チャンスはうまれる。 
 
だが、数ヶ月前、とあることによって小室氏は芸能界から永久に身を引くこととなる。
 
ぼくの中学生時代からのアイドルだった、小室哲哉氏。Youtubeなどでひっそりと活躍を続けたら、また復活できるのではないかとおもっている。
 
ちなみに、本書には、とても簡単にプロの歌手になれるかどうかの判定基準が書かれているパートがある。自分の娘がもうちょっと大きくなったらやってみようとおもう。
 
オーディション合否の秘密
歌手を夢見る人たちの場合、最初の段階で「×」なら、もういくら努力しても無理だ。次の段階へは進めない。その最初の「○」「×」が声質なのだ。
 
音楽の勉強や歌唱トレーニングをすると、音痴はある程度解消できる。それなりのリズム感も身に付く。しかし、声質だけはどうしようもない。仕事柄、過去に何万人という歌手志望者の人の歌を聴いてきた。オーディションの審査員席にも何百回と座った。いつも基準は同じだ。
 
「聴くのは声質」「そこだけ」と言ってもいいくらい集中する。
伝わる歌を歌える人になれるか否か。心に響く歌が歌えるか否かは声質でほぼ決まる。
 
声の自己判定
 
「ド」を発生した時に、1オクターブ上の「ド」、さらには「ド」に対してハーモニーを構成するミやソなどの音が聞こえてくる声がある。
それが倍音構成の素晴らしい声だ。特に1オクターブ上のドがはっきり聞こえる声が、歌手には理想的だとぼくは思う。
 
多重録音できるレコーダーで「ドー」を2回録音する。同じ声で、同じ音程の「ドー」が2回録音され、それを同時再生し、このときに1オクターブ高い「ドー」が聞こえてこなかったら、あなたの声には1オクターブ上の倍音成分は含まれていない。ほぼすべての人の声には、1オクターブ上の倍音成分は含まれているのだが、含有量には個人差がある
 

最悪のシナリオを考え尽くし、「想定外」を「想定内」にする

それにしても、職場では毎日毎日、想定していなかったことが起こる。しかも、たいていは、想定していなかった、想定できなかった「起きてほしくないこと」がおきる。

これは、大小の違いはあれど、どの職種でも共通している現象だとおもいます。

複数のひとが絡んで行う仕事においては、トラブルはつきものですから、この「起きてほしくない」トラブルが起こる発生確率は、だれにとっても平等のはずだ。

ところが、その仕事、プロジェクトを担当するキーマンの経験とスキルが高いと、その「想定外」に対して未然に対策を打っていたり、かりに発生してしまったとしても、すばやく対策を打つことができるため、最初からなにごともなかったかのように見えることが多い。

ここで、一つ、有名デザイナー佐藤オオキの本から、とある一節をご紹介。

デザイン業界でも「想定外」がおきることは多々あるようです。

ネンドノカンド -脱力デザイン論-

ネンドノカンド -脱力デザイン論-

 

「予期せぬことをいかに予測できるか」が常にデザイナーには求められます。

 

「7対3」ぐらいでしょうか。「3は必ず何がか起きる」って気持ちでいられるとその「何か」が起きてもそれなりに対処できるものです。そういう気持ちの余裕や、対応する引き出しがあるかどうかが、デザイナーの力量なんじゃないかな。

 

社会で活躍している人はみな一定以上のレベルですから、専門性に違いはあれど、それは優劣の問題ではないし、やはり「不足の事態の対応能力」に差が出るんだと思います。

 

一見ミスが全くないように見える人は、事前にワーストシナリオを想定し、先周りしておくことで重大ミスを阻止しているのです。一流の人は、下ごしらえや養生をし直す手間を惜しみません。「そこまで気にするのか」と舌をまくことがしばしばです。

 

こういった人たちは万一予期せぬ事態が発生した場合にも「いかに傷口を広げないか」という対策に余念がないのです。慌てずに手際よくリカバリーします。結果的に「この予防力」と「復元力」の二本柱によって表立ったミスは内容に見えるのです。

 

ここで佐藤氏が書いている通り、不足の事態は誰にでも一定の確率で発生する。でも、一流と呼ばれる人は、経験値を最大限に活かして、できるかぎりのワーストシナリオを想定し、事前にあらゆる防御策を打つことができる。

ただし、そこには表には見えないこだわりや、膨大な時間と手間をかけているはず。

次に、そんなプロ中のプロが不足の事態に対してどう対処したかという実話を紹介。

「想定外」を「想定内」に引き込む

もう、17年も前になりますが、9月になるとこの大惨事を思い出さずにはいられません。そう、2001年9月11日に、3000余人の罪なき人々を殺害された「セプテンバー・イレブン」です。

その後、アメリカ政府(CIA)は主犯であるビンラディンを追い続け、10年後の2011年5月、ようやく彼を追い詰め、捕獲作戦に打って出ます。その時の作戦について、この記事で裏側の詳細を記載しています。

 

 

この作戦で失敗するとしたらどのような場合か?「想定」されるネガティブ・シナリオをしらみつぶしに潰していった。その結果、ヘリコプター4機で進入して2機が戦闘部隊の輸送を担当し、2機が万一の場合に備えて空中で待機するシナリオが作られた。

 

早速、特殊部隊(Navy Seal)の隊員79名が召集され、米国内の基地に進入目的となる敷地と建物そっくりの模型を作り訓練を繰り返した。これには犬数匹も参加したと言う。

そして、ついに、2011年5月1日、作戦が実行され、見事ビンラディンを捕まえ、射殺することに成功する。ただし、特殊部隊が引き上げる時点で、輸送ヘリコプターに不足の事態が発生していた。

パキスタンの現場では、悩ましいことが起きていた。輸送ヘリコプターの1機が故障して離陸できないのだ。このヘリコプターには軍の機密技術が搭載されている。ネガティブ・シナリオに則ってこのヘリコプターを爆破して粉々にした。パキスタン国内にアメリカの軍事機密を残さないためである。ビンラディンの遺体と特殊部隊隊員は予備のヘリコプターに分乗してアフガニスタン内の基地に戻った。

 

もうひとつ大統領が懸念した点があった。ヘリコプターが基地に戻る前に、パキスタン軍が不法侵入した米軍ヘリコプターを攻撃して来ることである。進入した場所がパキスタン軍の教育施設のすぐそばであり、何時パキスタン軍が追いかけてきても不思議はないからだ。ネガティブ・シナリオに則って、このヘリコプターにはステルス機能(敵に存在を探知されない機能)がつけられていた。パキスタン軍が追いかけてきた時には、米軍ヘリコプターは既に国外に去っていた。

 

アメリカ政府はこの作戦において「想定外」と考えられる事態=ネガティブ・シナリオ徹底的に洗い出し、事前に対策を立てていった。だから、ネガティブ・シナリオが実際に発生しても、すべて克服できたという。(米軍の犠牲者はゼロ)

越えてはいけない線を無意識に越え、やがて線は見えなくなる

会社が「売上」「利益」という言葉を連発し、「儲け」に偏っていくと必ずどこかで歪が生まれる。

その一つとして、現場で発生する「数字操作」がある。

自社の業績のために、不正オペレーションを行い、数字を操作することで請求金額を上げるのだ。

普通の状態であれば、誰もやらない。

でも、上司からどうにもならない無茶な数字計画を課せら、毎週つめられていくと、真面目な人ほど、行き場を失い、一線を越えてしまう。

その多くが、若く、経験の浅い管理者や責任者である。

誰にも相談できず、一度の不正が次第に日常になり、いずれ、境目がぼやけ、その不正をルーティンとして繰り返すようになる。

上司は、現場にいかず、「利益を上げろ!」とだけ指示をだしているため、提出される数字とリアルなオペレーションの実績差異、違和感に気がつかない。

 

そして、ある日、内部告発か、責任者が交代したとき、偽りの事実が発覚する。

大抵のケースでは、第三者が客観的に調査にはいると「なんでそんなすぐにバレるようなことをしたのか」と言うのですが、追い詰められている当事者はやめられなかった理由があるのである。

ちなみに、海外の会社で発生する「数字操作」は、ほぼ個人の私利私欲のためだそうだ。

一方、日本は、終身雇用制度にしばられているため、会社(上司)からきびしい追い込みをかけられると、なんとしてでも、数字をクリアしたように見せかけるべく、悪に手を染めていくのである。

上司は、このような部下の行動心理を把握し、業績を追いながらも、バランスよくサービス提供品質や正しいオペレーションが行われているか、自分の目で確認していかなければならない。

今日は、勤務する会社で起こった状況を振り返りながらこのブログを書きましたが、同時に、この2本の映画を思い出しました。

エイト・メン・アウト [DVD]

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1本目。 

1919年に実際あった、ブラックソックス・スキャンダルとよばれるワールド・シリーズでの八百長事件を描いた映画。

この映画は、この八百長事件にからんで、永遠に野球界を追放された悲劇の選手、シューレスジョー・ジャクソンを題材にした不朽の名作。

永久追放される選手達の姿が痛々しくて、切なくなる映画です。

ドケチオーナーの下で薄給ではたらくプレーヤーが、金のためにワールドシリーズ八百長をする。

ラスト直前、八百長が暴露したとき、監督がマスコミに囲まれ、インタビューを受けるのだが、選手をかばうこの言葉に感動した。

「しかし、魔がさすのはわかる。報酬に不満があるとき、上手い話をもちかけられたら、・・・人間だから」

 

そして、もう一本。

レインメーカー [DVD]

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 「レインメーカー」(原題:The Rainmaker )とは「札束の雨が降るごとく稼ぐ男=弁護士」の意味だとか。

この映画、一言でいうと
「お金中心の法廷に挑む若き弁護士の苦闘を描いた法廷ドラマ」
 
弁護士志望のルーディ・ベイラー(マット・デイモン)は大したコネもなく、バイト先の飲み屋の店長から悪徳弁護士のブルーザー・ストーン(ミッキー・ローク)を紹介され
そこで働くことになる。
 
ルーディの初仕事は、白血病患者に支払いを拒否している悪徳保険会社グレート・ベネフィット社を訴えるになるが・・・
示談を狙う会社側の弁護士、老練なドラモンド(ジョン・ヴォイト)と弁護士としての理想に燃えるルーディの熾烈な戦いが始まる。
 
と、まあそんなよくある法廷もの。
ハッピーエンドでおわる、最後のシーンで、こんなセリフが流れる。

“Every lawyer, at least once in every case,feels himself crossing a line he really didn't mean to cross,it just happens; and if you cross it enough times,it disappears forever... and then you're nothin' but another lawyer joke...just another shark in the dirty water.”

 

『どんな弁護士も裁判の度に越えてはいけない線を無意識に越える。やがて線は見えなくなり汚れた水を泳ぎだす貪欲なサメのように(金儲けに走る)』