昨夜ブログで取り上げたこの本を早速ダウンロードし、今日の往復通勤電車内で読了した。
ヒロミさんとCA(サイバーエージェント)の藤田社長?なんとも違和感のある組み合わせ。最初はこの本だけの企画かとおもったら、実はかねてからの釣り友達だったとのこと。
そんな藤田社長が、本書の結びとしてこう書いています。
小休止について書くヒロミさんのパートを読み通し、改めて感じたのは「休みながらじゃないと長距離は走れない」ということでした。
起業から約 20 年。私もそれなりに長い距離を走ってきました。もちろん、経営は長期戦ですから、まだまだ道半ば。ですが長い時間軸で考えると、この 20 年は、目標の達成に向かいながらも気をそらす時間、目をそらす場が必要でした。
「ここだ!」というタイミングで最大限の集中力を発揮するため、エネルギーを貯めていく。現場から少しだけ距離を取り、客観的に状況を見極める。そんなふうに小休止を役立てていると、遊びに没頭する時間の中で新たなアイデアが湧くこともあります。
タイトルにある「小休止」は一般的には「なにもしないでちょっと休む」という意味だとおもいますが、本書でいう「小休止」とは、いったん毎日の仕事から離れて、別の世界に身を置いてみることだと理解できます。
例えばヒロミさんの場合だと、芸能界から身を引き、トレーニングジムの経営をはじめたとき「小休止を取って別の世界に身を置くと、まったく違う風景が見えてきた」と書かれていました。
10 年という長すぎるかもしれない小休止を挟んで、考え方はがらりと変わった。
40歳を過ぎると、多くのひとは自分の価値観に合わないものに対して、否定的な態度や意見をするひとが増えてきます。とくに会社組織でいうと、上の役職になればなるほど。
でも、本書を読んでいると、40過ぎて芸能界を一旦やめて、トレーニングジムの経営を始めたヒロミさんは、いろいろな体験を経ながら、物事を俯瞰的にみて、全体最適になることを最優先する考え方にかわる。
(10年の小休止をして)まず、「司会者はゴールを決めなくてもいい」「おもしろくなくてもいい」と思うようになった。チームメイトのため、守備に徹して、ドリブル突破よりも味方を生かすパス出しに徹する。「ここでボールを出せば、あいつがおいしくなる!」というタイミングを見極める。そんな振る舞いが今は楽しいと感じている。
なぜなら、今のバラエティの番組は「チーム戦」であり「団体芸」であるからだ。ジムを経営してみて、一般の社会、僕の場合で言えば、店での仕事は基本的に「団体芸」だと知った。たった1人のエースがいても、うまくいく期間は短い。市場や環境に変化が生じたとき、対応して変わっていけるのは、エースに頼るチームよりも、団体芸を理解しているチーム。
だから自分が復帰後、大事にしているのは、ゲストに来た人が「あの人、おもしろいですね」と言ってもらえるようないじり方。それは司会のときも、一出演者のときも変わらない。自分が評価されるよりも、誰かの「今まで気づかなかったけど、あんな一面もあるんですね」を引き出せると、団体芸の一員として仕事をしたと感じる。
いつも100%である必要はない。
会社組織には様々な価値観の人がいるので、この考え方はとても大切。どうしてもみんな自分の労働価値観を基準にして考えてしまい、それにそぐわないひとを否定したくなる。そんなとき、このヒロミさんの考え方をあえてリマインドしてみるべきだ。
ジムの経営を通じて、よくわかった。いつも100%である必要はない。通常運行はマックス 80%で。経営者やリーダーも、スタッフがそこまでの力を出してくれるように関わっていけばいい。 「100%出せ!」「なんで出さない!」と腹を立て、周囲の人を自分のモノサシで測ってしまうと、無駄に心が揺れることになる。
自分自身も小休止を経て 80%を心がけるようにしてみたら、うまくいくようになった。それはたぶん、扱いやすいヒロミになったからだと思う。200%で突っ走ると成果は出ても、周りの人を置き去りにしていくことがある。
チームのバランスを意識する
本書を読んでいて、いちばん印象に残った箇所がここだ。自然と組織の関連性をわかりやすく見事に紐づけて書いてくれている。これは会社組織で、チーム力の難しさを感じている中間管理職の人々は100%同意してくれるだろう。
トレーニングジムの経営は、3人からスタートして、多いときにはスタッフが 30 人を越えていたこともある。入れ替わりは頻繁で、会社に入って3年くらいして完全に戦力として認めた頃に、みんなそれぞれに自分の考えを持ちはじめる。パーソナルトレーニングを売りにしている以上、気に入ったお客さんがトレーナーを引き抜いたり独立させることもあった。
そんな経験を繰り返すうち、チームにはすば抜けてすごいヤツがいてもあまり意味がないと思うようになった。ほどほどのヤツがいっぱいいた方が、現場はうまく回る。一人のエースに頼った状態になると、周りが育たない。エースを支えるその他大勢となってしまい、チームのバランスが偏ってくる。
これは自然の中を歩いているときも感じる。山にはたくさんの木が生えているが、立派な巨木があるとその周りには林が育たない。生い茂った葉が光を遮り、他の木に必要な栄養を巨木が持っていってしまうのだ、林を育てたいのなら、大きな木を切らなくてはいけない。その方が林は育つ。
それは小休止後、自分がテレビの仕事をする上でも心がけている。今はどの番組に呼ばれても、自分が年長者であることが多い。だからなるべく出しゃばらず、他の出演者が生きるような出方を大事にしている。若い子のチャンスを取ってまでテレビに出たいとは思わない。節度を持って振る舞うことで、次の若手が自信を持つようになってチームの一員に加わり、番組がおもしろくなればバラエティ界が盛り上がる。それは出演者の一人として、最終的に自分のプラスにもなってくる。
力の抜きどころを見極める
自分も40歳なり、胃腸を壊し、無理がきかなくなったとき、力を抜いていく必要があることを悟りました。「力を抜く」というのは、自分のペースを見つけ、最適なパワーの配分を考えていくことだと思う。
復帰しはじめの頃は、デビュー当時でも経験したことがない緊張を感じていた。そこで役立ったのが、長い小休止の間にやっていたトライアスロンの経験だった。
スイムでは海を前にして、1000人以上が一斉に飛び込む。水泳が得意ではない自分は毎回、「ゆっくり自分のペースで」と思うのだが、身体をぶつけ合いながら進むスタート直後の激しさの中でオーバーペースになっている。そんなとき、いつもしていたのが落ち着くためのルーティン。1回泳ぐのをやめて小休止する。
海面に浮いて、大きく息を吸い、自分に「泳げる、大丈夫だ」と言い聞かせ、周囲には「どうぞお先に行ってください」と考える。人は人、自分は自分のペースで。そう思えると、ウソのように楽しく泳げるようになった。
変わったことと言えば、小休止の時間を経て力の抜きどころが見極められるようになったことだろう。実際、戻ってきてから旧知のスタッフや先輩から「最近、力抜けていいよね」と言ってもらえる。ブランクがあったおかげで、「8割の力加減で、周りを生かすとうまくいく」と気づけたのだ。
例えば、ナインティナインの岡村は、休みの日に僕のところに来るといまだに必ず「おもろいことないですかね? おもろいこと」と言っている。
息の長い活躍をしている芸人さんはおもろいことではなく、「楽しいこと」を探している。「楽しいな、これ」「楽しいことないかな」というスタンスで物事に向き合っている。「おもろいこと」を探すのではなく「楽しいこと」を見つける。ここに8割の力加減のコツがあるように思う。
取り替えにくい歯車になる
組織やチームの絵を書くと、普通ピラミッド型を描く。でも、実態の組織は「歯車」のサークルのようだ。それは、どんな業種、どんな形態の組織でも同じだ思っていたのだが、芸能界も同じなんだなあと。
小休止後、テレビの仕事に戻って、確実に仕事観が変わった。呼んでくれて、使ってくれるのなら、その場でみんなの役に立ちたい。後輩たちの後押しをしたい。謙虚すぎて嫌味っぽく取る人もいるかもしれないけど、今はそんなふうに思っている。イメージしているのは機械の奥の方にある、小さな、でも取り替えの利かない歯車になりたい。
そう思うようになったのも、ジムを経営した経験が大きい。会社というのは、無数の小さな歯車が噛み合って動いている。社長も歯車の1つだし、新入社員も歯車の1つになる。全員が同じ方向を向いて、8割の力を出せば大きな結果を生み出すことができる。一人、二人が200%でがんばっても、他の歯車が別の方向を向いて回っていたら結果は出ない。だから人を雇い、店を運営していく経験の中で、周りにいい影響を与える歯車になってくれるスタッフにはとても助けられた。飛び抜けて優秀なトレーナーというわけでもなく、特別なスキルのあるスタッフというわけでもない。でも、その人がいると店の空気が良くなり、スタッフ同士の連携も高まるという人。経営者からすると、そういう人こそがむしろ、かけがえない存在で取り替えの利かない人になる。
自分がゲストで出演しているときも、「あれ、あの子、喋ってないな」と思うと気になって、自分が話を振られた流れで「ねえねえ、どう思う?」と話しかける。若手の子だったらこれがチャンスになるし、誰でもひと言、ふた言コメントすると、一仕事できたと気持ちが落ち着く。そうすると、歯車がいい感じで回り始める。そんなふうに、番組をいい空気感にしようという思いを持って、バランスを取っていく。 最近はそんなことを考えながら、仕事をしている。